三条木屋町。
若者が集う飲み屋街の入り口に、瑞泉寺はあります。
梅がまだ満開の頃に行きました。
何度となくこの前を通ってきましたが、改まって入るのはなんと今回がはじめて。
それぐらい入り口は目立たない!
そして、このお寺が悲しい悲しい歴史を背負った神社であることもはじめて知ったのでした。
この瑞泉寺は、無念の最期をとげた、豊臣秀次一族を弔ったお寺なのです。
何しろ歴史が苦手な私なのでゆっくりかみくだいて説明いたします。
その昔、豊臣秀吉にはしばらく子供ができませんでした。
なので、秀吉の甥っ子(秀吉の姉の子)である秀次が養子として迎えられ、関白の位を継ぎました。
ところが、秀吉に実子、秀頼が生まれてから、秀次は秀吉に疎まれるようになり、最期は謀反の疑いをかけられて高野山で自ら切腹させられるのです。
秀次の首は三条河原まで運ばれ、秀次の一族(遺児、妻妾39名)もその周りで串刺し、めった切りされ、処刑されてしまいます。
その光景をたくさんの通行人が目撃したそうですが、あまりの凄惨さに口を覆ったとか。
むごすぎる。。。
そのうえ、その亡骸はひとまとめに三条河原に埋められ、秀吉に「畜生塚」と呼ばれたそうです。
「殺生関白」と呼ばれ、愚かな人物として描かれがちな秀次ですが、それらは創作であるとの説が有力だそうです。実際は思慮深く、文化、芸術にも造詣の深い方だったんですって。
なんか、秀吉が権力でやりたい放題やっている画を想像してむかついてしまいました。
その畜生塚の跡地に、高瀬川を作った角倉了以が一族を弔うために瑞泉寺の建立を提案したのがはじまりとされています。
↓秀次の墓(真中)と、それをズラリと取り囲む40前後の妻妾、遺児の小さな墓(左端に少し写っています)

↓一族の人形。
一族の霊を慰めるように、瑞泉寺には一年中さまざまな花が咲き誇ります。
↓これは参拝客の方が撮り続けていた花々の写真。

京都は、華やかな歴史と悲しい歴史を包み込んでいる街。
それも魅力の一つなんだと思います。
境内は街中とは思えない静けさ。
そしてこのお寺にはなんともいえない、泣き出しそうになるムードがあります。
近くに来られた際は是非立ち寄ってみてください!
こちらは豊臣秀吉(今回の記事では悪者ですが)が「茶味に適す!」と絶賛したという
金谷正廣の真盛豆。

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あとがき:真盛豆ですが、秀吉よりも絶賛しているのがこの私です。黒豆、きなこ、青海苔が口の中で合わさってなんともいえない美味しさ。マリモみたいな外観も魅力です。