2008年11月 5日 (水)

【京都便利堂】人生最大の挫折が導いた天下人への道

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

大河ドラマ、「篤姫」もいよいよ大政奉還を迎え、緊迫した雰囲気を漂わせてきましたね。
徳川幕府の最後の瞬間です。
先はどうなるかわかってはいるのですが、ハラハラしますcoldsweats02

この徳川幕府の最後endは歴史の授業でも詳しく習ったりしてよく記憶しているのですが、始まりはどうなっているのでしょうか?
徳川幕府の初代将軍は、徳川家康。
今日は、徳川家康についてお話ししたいと思います。

江戸幕府260年に亘る太平の礎を築いた徳川家康は、今でも多くの経営者や政治家が手本とする戦国武将ですが、その道程は艱難辛苦の連続でしたsweat01
幼い頃から今川家などに人質として出され、解放後も同盟関係とは言え弱小勢力なるが故に織田信長からこき使われた揚句、折角訪れたチャンスでも豊臣秀吉に天下を横取りされてしまいました。

そんな「重き荷を負って歩むが如き」家康の人生の中でも最大のピンチは彼が30歳の時に起きた「三方ケ原の合戦」impactでした。

当時の情勢は、数多くの戦国大名が群雄割拠する中、遠近江・駿河(静岡県)・三河(愛知県東部)三国の守護大名で源氏の流れを汲む名門・今川義元が天下に一番近いと言われていましたが、
京都に向かう途中、桶狭間で尾張(愛知県西部)の新興勢力織田信長の奇襲に遭い討ち取られてしまいます。
お陰で、長年今川家に人質として預けられ、犬馬のように働かされていた家康は独立することができたのですが以後、日の出の勢いで天下獲りに突き進む信長の従順な同盟者として各地を転戦することになりますhorsedash

京都には室町幕府第十五代将軍 足利義昭が居りましたが、これは信長の操り人形で総ての実権は信長が握っていましたshadow
これに不満を持つ将軍義昭は密かに全国の有力大名に「信長討伐」の指令を出します。
これを受け取った甲斐(山梨県)の武田信玄は信長の勢力にpunch一発くらわせてやろうと思い2万5千の兵を率いて出陣します。一説には天下獲りを目指して京都に向かったと言われていますが、どうやら織田の勢力を叩きながら信長の本拠地である岐阜方面を脅かす目的だったようです。

その途中に家康の居城「浜松城」があり、信長の同盟軍である立場から信玄との戦impactはどうしても避けられない状況になってしまいます。
戦国最強を誇る武田の大部隊に対して家康の軍勢は僅かに8千、織田の援軍を合わせても1万1千しかありません。
再三信長に援軍を要請しますが、信玄が手を回し近江の浅井、越前の朝倉、阿波・河内の三好衆や本願寺一向宗と連携して信長包囲網を作っているため信長もこれ以上兵力を割くことができず家康に「これで何とかしろsign01」という無茶な要求をします。
到底勝ち目がないと判っている家康は城に籠って外に出ず、ひたすら攻撃に耐えようthinkと決心します。

いよいよ武田軍が浜松城に近づきますが、何故か城には目もくれず悠々と「風林火山」の旗を翻しながら三方ケ原に向かって通り過ぎて行きますhorsehorsehorsedash
これを見た家康の家臣たちは、余りの屈辱に地団太踏んで悔しがります。
家康も、ここで何もせずにいたのでは、後世まで臆病の誹りは免れぬと、決死の覚悟で攻撃を仕掛けますが、そこは天下一の戦上手と謳われる52歳の信玄に敵するところでなく、あっという間に蹴散らされ、家康自身何度も討ち死にしそうになりますが、その度に家臣が「我こそ家康なり」と言いながら身代わりとなってくれたお陰で辛くも単騎、城まで逃げ帰ることができましたwobbly

その時、余りの恐怖のため馬の鞍に脱糞してしまったと言われていますが、どうやら野戦用の食料「焼き味噌」がつぶれていたのではとも言います。
ともあれ城にたどり着いた家康は、この先慢心して昔の苦労を忘れることがないよう今の惨めな自分の姿を絵に描かせていますpencil

Shikamizou

後に「顰(しかみ)像」といわれるもので、終世家康はこれを手許に置き自らの戒めとしたそうです。

戦いは武田の圧勝で終わりますが、その後行軍中に信玄が病によって陣没し軍を甲府に返したため織田・徳川連合軍の危機は去ります。

強運の信長は一気に天下人へと駆け上がり、死を賭して戦った家康の名声も高まって一大勢力となって行きます。
その後本能寺の変で信長が横死すると突然、格下であった豊臣秀吉に天下を掠め取られ、秀吉が没するまで16年間又しても冷や飯を食わされるのですが、家康はこの間にも、この「顰像」を眺めながら悔しさに耐えていたのではないでしょうか。

しかし最後に覇権を握り、誰もなし得なかった平和な世の中を作り上げたのですから、この像は家康にとって幸運をもたらすラッキーアイテムcloverだったに違いありません。

その顰像のレプリカをこの度販売することになりました。
ただいま、ページ制作中ですので、お問い合わせはtelephoneお電話かメールmailtoにてsign01
株式会社便利堂 徳川家康画像係:phoneto075-231-4351 faxto075-231-2561
       

徳川幕府の最後、幕末と呼ばれる時代の人々が登場するトランプ、幕末トランプはこちらから。

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2008年9月19日 (金)

【京都便利堂】薩長同盟が倒幕の決め手

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

cameraここは京都御苑。

Gyoen

camera蛤御門(はまぐりごもん)です。

Hamagurigomon_2 

京都御苑への入り口はたくさんあるのですが、この門は、他の門と少し違います。

cameraこのように、門に傷跡があるのです。

Dangan

弾丸の跡のような丸い傷。
これは、幕末の時についた傷跡だそうです。

ここで、事件impactがあったのです。

「禁門の変」と呼ばれるその事件impact
長州藩の企てた恐ろしい暴挙を、ここで弾丸の跡が残るほど激しく争ってbombimpact食い止めたのでした。
食い止めたのは、御所の護衛に当たっていた、会津・桑名そして薩摩藩。


ん?薩摩?

確か、薩摩と長州が「薩長同盟」を組んで幕府を倒したのではなかったっけ?
なのに、薩摩と長州がここで争った
bombimpactpunchとはどういうことでしょう?

また、その「薩長同盟」が
明治維新のターニングポイントとして挙げられるのはなぜでしょうか?

時の流れを追いながらfoot、確認していきましょう。


foot幕末の動乱期に、徳川幕府の体制を維持しようとする勢力(佐幕派)と天皇を中心とする新体制の実現を目指す勢力(勤皇派)が激しく対立しますが、
保守層として一応まとまっている佐幕派に対して西国雄藩を中心とする勤皇派は、それぞれの思惑もあり、なかなか一枚岩にはなっていませんでした。
中でも特に力を持っていた薩摩藩と長州藩は、激しい主導権争いをする「犬猿の仲」poutannoyという間柄でした。

foot両藩の関係が決定的になったのは、黒船来航から10年後の1863年に起きた「文久の政変」というクーデターによって長州藩が京都から追われ、政治的に失脚してからです。

foot当時の長州藩は、どこよりも天皇に対する尊崇の念が強く、日本一の勤皇藩を自負していました。
そこで、大の外国嫌いであった孝明天皇の意として「攘夷」(外国を打ち払う)を実行するよう幕府に迫り、それができないことを口実に天皇を担いで倒幕の「錦の御旗」を挙げようとします
rock

footしかし、当の孝明天皇は、妹の和宮を嫁がせた第十四代将軍 徳川家茂を実の弟のように可愛がり、何とか幕府と協調して行こうという「公武合体」を目指していたため、長州藩の画策は全く意に沿わぬものでしたcoldsweats02

footこれを察知した薩摩は、朝廷における自藩の立場を確固たるものにすべく、事もあろうに佐幕派の会津藩と手を結び、天皇の詔勅(命令)を奉じて一気に長州藩を京都から追い払ってしまいますpunch

footこの政変をきっかけに自暴自棄となった長州藩は、京都の武力制圧を目論みますが、会合場所の池田屋を新撰組に襲撃されて計画が失敗する(池田屋騒動)impactと、
次に軍勢を京都御所に乱入させて天皇を国許に奪い去ろうという暴挙(禁門の変)
bombimpactに出た結果、
ついに朝敵(天皇に敵対するもの)の汚名を蒙り、幕府の征伐軍から攻められます。

また、国許の下関海峡で外国船を砲撃するという「攘夷」を独断専行で実行したため、イギリスなど四カ国連合艦隊からの報復を受けて瀕死の状態に陥り、止むなく幕府に降伏することとなります。

footそんな状況の長州藩を救おうと、土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎が薩摩藩を動かしますdash
当時の薩摩藩は凶作のためriceball米が不足していましたが、長州藩は豊作でriceball米が余っていました。
そこに目をつけた龍馬が、長州から薩摩に
riceball米を売らせ、薩摩は公的にbomb武器が買えない長州に代わって外国から武器を購入し、長州に引き渡すという取引を持ちかけます。

foot藩を瀕死の状況に追い込んだ薩摩に対する長州の怨念は「恨み骨髄に達する」angry程であったに違い有りませんが、
この時、長州藩代表の桂小五郎は「たとえ長州が滅んでも薩摩が勤皇の志を引き継いでくれれば良い。米は無償で進呈する。」と言ったそうですshine
人間の感情を「経済」というフィルターを通して浄化しようとした龍馬の感覚も素晴らしいshineですが、それに応じた桂の度量にも驚きますhappy02

footこの結果、bomb最新兵器を手にした高杉晋作や大村益次郎らによる軍制の近代化に成功した長州藩は再び息を吹き返し倒幕派の一大勢力となります。
その後、幾多の困難がありましたが、龍馬、慎太郎の斡旋によって政変から3年後、薩長軍事同盟が成立したのです。

footその後、土佐藩、肥前鍋島藩などが加わって軍事力のバランスが大きく倒幕派に傾き、岩倉具視や大久保利通などの巧みな朝廷工作の成功もあって時代は明治維新へと加速して行ったのでした。

なるほど。
そんな流れがあって「薩長同盟」が結ばれ、それがターニングポイントとなって倒幕へと進んでいき、明治維新となったのですね。

上の写真cameraのように、今はのんびりした穏やかな空気の流れる京都御苑。
中は公園になっていますから、特定の場合以外は自由に出入りshoeすることができます。

ひとつ違えば、もしかしたらこの空気はなかったのかもしれませんねwobbly

今回のブログでひとまず幕末のお話しは終了ですend
色々と楽しんでいただけましたでしょうかhappy01

よかったら、これをふまえて、幕末月旦札で遊んでみてくださいねsign03

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投稿者 京都 便利堂 時刻 18時06分 学問・資格, 経済・政治・国際
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2008年9月17日 (水)

【京都便利堂】曼珠沙華・彼岸花……

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

もうすぐお彼岸ですね。
そろそろこのお花も見かけるようになるでしょうか。

Higanbana

曼珠沙華。彼岸花。
幾通りも呼び名のある、鮮やかな赤い色をしたお花ですが、お墓の周りなどでよく見かけます。
だからでしょうか。
見かけると、過去のことだというのに、亡くなった親族を思い出して悲しい気分weepが色鮮やかによみがえります。

花言葉も「悲しい思い出」weep

歴史上にも、悲しい思い出はたくさんあります。
幕末もそのひとつ。

今日は、そのお話を。。pen

clipまず、疑問なのですが、
現代の日本には傑出した政治家というものが少ないように思いますが、

幕末の諸藩では、どうしてあんなに数多くの人材shineを輩出することができたのでしょうか?

それは、当時、諸藩が競って文武両道に秀でた若者を江戸に留学させ、持ち帰った知識pencilや経験runを自藩の経営に役立てるよう努めていたからです。

学問塾としては、もとは幕府直属の武士団である旗本の子弟を教育する官立機関で、
後に諸藩の子弟も入門できるようになった「昌平坂学問所」(東京大学の前身)を筆頭に、
吉田松陰や高杉晋作、三菱財閥の創始者となる岩崎弥太郎などが入門した安積艮斎(あさかごんさい)の儒学塾や佐久間象山の蘭学塾などがあり、
剣術修行の塾としては、shinecrown最高峰として憧れcrownshineの存在だった「江戸三大道場」と言われるcrown北辰一刀流 千葉道場「玄武館」、crown神道無念流 斉藤道場「錬兵館」とcrown鏡心明智流 桃井道場「士学館」がありました。

これら道場には様々な若者が集まり、藩の垣根を越えて交流を深めたり情報交換をしたりしていましたが、
突然、間近で黒船来航
shipdashという驚天動地の体験をし政治家も学者も巻き込んで沸騰するspa議論と混乱の中で何の解決もできない幕府の実態を目にした彼らは、
切実な危機感と若者特有の純粋さをもって激論
impactを戦わせつつ自分達の主張を形作って行きます。
あたかも昭和の時代、60年代から70年代にかけての学生運動impactのような熱気spaだったのではないでしょうか。
因みに千葉道場(「玄武館」ではないが)の塾頭は坂本龍馬、斉藤道場の塾頭は桂小五郎、桃井道場の塾頭は武市半平太がそれぞれ勤めており、この三大道場は差し詰め現代の早稲田、慶応、東大といった存在だったようです。

しかし、やがてそれぞれ出身藩の立場や受けてきた教育pencil、経験などの違いから、彼らの行動も別なものとなって行きますsad
ship密航して外国を見に行こうとする者、annoy力づくで外国人を打ち払おうとする者、rock何としても幕府を守ろうとする者、punch又倒そうとする者。
更に彼らがそれぞれの藩に帰ってからとった行動はいずれも過激なもので、
藩全体の考えを自分達の思想に染めようと藩内でクーデターを起こしたり、脱藩して諸国を巡り、同じ考えの者達の力を糾合しようとしながら、やがて朝廷(天皇)の権威を利用しようと京都に集まってきますrunhorse

そこで対立する勢力を「天誅」thundershadowというテロによって抹殺し始め、幕府方はそれを検挙する為に新撰組や見廻り組などの特別警察を組織して取り締まろうとします。
新撰組にしてみれば「勤皇の志士」なんていうのは政府転覆を企む過激派にしか見えなかったろうと思います。

新撰組の幹部も江戸で「試衛館」という道場を開いていた者達でした。
もっとも三大道場とは違い「天然理心流」という三多摩の田舎剣法で、真剣を使った試合には滅法強いが、竹刀での勝負には弱く、
道場破りが来ると、斉藤道場の塾頭、桂小五郎を呼んで変わりに立太刀合ってもらい、追い返していたそうです。
ですから、おそらく桂小五郎と近藤勇などは、親しく時勢を語り合った仲
happy01ではなかったかと思われます。

そんな関係にあった二人も、時を隔てて京都で再会すると命のやり取り
sadをせねばならぬ敵同士となっていました。

幕末には、そのように巡り合わせが生んだ悲喜劇が沢山あるのですが、
いずれにしろ数多くの有為な青年達が殺し合う悲しい時代だったのです
weepweep

それにしても、当時の剣術は様々あったのですね。
その中でも最高峰と呼ばれる剣術「北辰一刀流」は、heartspade幕末月旦札diamondclubの役にもなっていますよ。
一体誰が北辰一刀流なのsign02

このように、役の内容に興味を持っていただきながら遊んでいただくとより楽しんでいただけると思いますwink

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投稿者 京都 便利堂 時刻 16時16分 学問・資格, 経済・政治・国際
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2008年9月10日 (水)

【京都便利堂】日本国分断の危機にあった幕末

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

maple秋の気配を少しずつ感じるこの頃、夕暮れの空がとても綺麗で、つい見入ってしまいます。

Okinawa

cameraこちらは、沖縄の海waveの夕暮れにさしかかる頃。

今、日本国として存在する沖縄ですが、昭和の時代には、パスポートを持っていかなければならない時期がありました……despair

このように分断されたことのある日本ですが、実は、幕末の頃にもその危機があったのですcoldsweats02

それでは今日はその頃のお話しを……pen

幕末動乱期のアジア情勢は、イギリスやフランスなど列強といわれる大国が利権を求めて植民地争奪戦impactを繰り広げる弱肉強食の世界でしたbomb
清国(満州族の中国王朝)はイギリスが仕掛けた理不尽極まりないアヘン戦争敗戦の結果、香港の割譲を初めとする屈辱的な不平等条約を結ばされ、民衆は外国人から召使のようにムチでこき使われるという惨めな境遇に陥ってしまいますwobbly

次に列強が目をつけたのはshipdash黒船来航以来、政治的混乱typhoonの真っ只中にあった日本でした。
アメリカとの条約締結以降、各国の外交官が日本に駐留し、それぞれの国益dollarshineのために暗躍しますが、日本では高い知識と戦闘能力を持つ武士階級が支配していたため、清国に対しては大いに有効であった武力による「恫喝外交」punchimpactが通用しないと判断し、
国内で激しく対立する幕府方、倒幕方の勢力を、それぞれに援助dollarするという形で影響力を及ぼそうと考えます。

フランスは幕府方に最新式の軍制を導入したり横須賀に製鉄所を建造して近代化を図る一方、
イギリスは薩英戦争の結果、互いの実力を認め合う事で逆に親密になった薩摩藩や長州藩を軍事的・経済的に援助し、
かつてのベトナム戦争時における米中のように日本で英仏の代理戦争bombが繰り広げられつつある状況でした。

もしも、このような列強の思惑どおりに内戦が拡大していたら、おそらく日本は南北ベトナムや東西ドイツ、韓国・北朝鮮のように東西二国に分断されていたのではないでしょうかweep

実際、幕府の高官が北海道(当時の蝦夷地)を担保にフランスから軍事資金dollarを調達しようとしていた形跡もあり、
今頃、札幌ラーメン
noodleやジンギスカンariesを食べるにはパスポートが必要になっていたかも知れませんshock

ところが、当時幕府の最高権力者である第十五代将軍・徳川慶喜が「大政奉還」
つまり幕府を解散して政権を朝廷(天皇)に返上してしまったのです。

慌てたsweat01のは列強諸国です。
応援すべき幕府、倒すべき幕府が突然消滅してしまったのです。
フランス公使は必死で慶喜にbomb戦争継続を要請しますが、彼は決して朝廷に対する恭順(謹慎)の姿勢を崩そうとしませんでした。

この結果、列強は日本の内戦に関与する名目を失い、国家分断の危機は危ういところで回避されたのですhappy02heart04
後の評価は分かれますが、二百六十年以上続いた江戸幕府を自らの手で閉じた徳川慶喜の大英断は、この一点で賞賛に値するshineと言っても良いのではないでしょうか。

徳川慶喜も含め、この時代の人物をdiamondトランプclubにした幕末月旦札ですが、
1つのheartトランプspadeで大人数遊んでいただけるようにと、役一覧をダウンロードできるようにしました。
どちらかのページよりダウンロードしてお使いください。

■便利堂新着情報

■幕末月旦札(京都便利堂老舗モール店)



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2008年9月 5日 (金)

【京都便利堂】薩英?日英?戦争のこと

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

Bakumatsugettanfuda_2

ご好評いただいておりますheartspade「幕末月旦札」diamondclub、来週頃に2刷りが上がってくる予定でございます。
お待ちいただいている皆様、ご迷惑をお掛けいたしまして申し訳ございません。
今しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

それでは、本日も幕末のお話しを少しpen

学生の頃、この時代のことを習ったときから不思議に思っていたことがありました。

「生麦事件」がきっかけで起こった戦争、「薩英戦争」。

なぜ日英戦争ではなく、薩英戦争と呼ぶのでしょうか?

薩摩藩とイギリスとの戦争ですから、その呼び名でいいのかもしれませんが。。
なぜなのでしょうか?

まずはことの起こりの生麦事件について。
この事件の舞台は、東海道・武蔵国生麦村(現在の横浜市鶴見区生麦)あたり。
江戸から京の都へ向かう、薩摩藩主の父・島津久光の大名行列が通過していました。
その行列を、イギリス人貿易商・リチャードソンが乗馬のまま横切ってしまいます。
来日して日の浅かった彼らは、大名行列と行き交う時の作法(下馬して道端に寄り、道を譲る)を知らなかったそうです。
しかし、当時の日本の国法では、行列を乱した者は無礼討ち。
それにより、リチャードソンは絶命します。

これに怒ったイギリスは、幕府と薩摩藩に対し、賠償請求dollarを行います。
幕府は支払いに応じますが、薩摩藩は応じません。

元々、幕府は各国の公使館に東海道通行の自粛を通達しており、行列を乱した者を切り捨てるのは、当時は合法だったからです。

このように薩摩とイギリスの言い分は分かれて、それが原因でおこった戦争が「薩英戦争」なのです。

そこで気になるのは、生麦事件の賠償請求が幕府と薩摩藩に分けてされていてかつ、幕府は支払いに応じているのに、なぜ戦争を?

それは、当時の藩はそれぞれひとつの独立した国で、今の日本のような中央集権国家ではなかったからです。

当時の藩と現在の都道府県とは全く違うもなのです。

ですから、日本全体ではなく、薩摩という国とイギリスという国の戦争だったから「薩英戦争」なのです。

今のような中央集権国家になったのは、明治維新の後。
廃藩置県が行われてからのことです。
明治維新は、お殿様がいなくなった日本の幕開けsunでもありました。

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投稿者 京都 便利堂 時刻 15時00分 学問・資格, 経済・政治・国際
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2008年9月 3日 (水)

【京都便利堂】幕末の魅力2

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

9月に入りましたね。
もうそろそろ秋の気配?かと思いきや、8月末の涼しさが嘘のように暑い日々の京都です。
けれど、やっぱりmaple秋の気配は少しありました。
night日が暮れるのが早くなってきています。

Yuugure

それでは、今日も江戸時代の暮れ、幕末のお話しにどうぞお付き合いくださいませ。

日本にも、幕末の頃、革命があったのはご存じですか?

明治維新と呼ばれる革命です。
それは一体どんなものだったのでしょうか?

明治維新は、世界的に見ても稀有の「無血革命」と言われます。

欧米諸国やアジアにおいて見られる革命は、多くの無辜(むこ)なる人々の犠牲の上に成し遂げられるのを常としているのに対して、
明治維新は確かに鳥羽・伏見、上野の彰義隊、北越・会津攻防、五稜郭などいくつかの凄惨な戦いはありましたが、
これらは武士という支配階級における旧幕府方と新政府軍との戦であって、闇雲に一般市民を流血に巻き込んだようなものではありません。

諸外国における革命の多くは、現政権を力で倒し、支配者たる地位を己のものとする、
つまり「現王朝の名(命)を革(あらた)める)」のが唯一の目的であるため、手段や相手を選ばず民衆を武力で制圧して行きました。

幕末から戊辰戦争にかけ中心となった薩摩、長州、土佐、肥前の各藩主の中には、関ヶ原敗戦以来の怨念を晴らし、徳川家に代わって将軍になるつもりだった者もいるようですが、
実際に維新回転を主導していたのは支配階級から程遠い身分低き若者たちでした。

吉田松陰、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、桂小五郎、高杉晋作など、皆20代から30代sign03という年齢で、よくぞあのような大仕事ができたものだと思います。

又、彼らとは反対の立場に立った近藤勇や土方歳三にしても同年代、
年長者の勝海舟でさえ40代であったことを考えると、

いくら当時の人間が老成していたとはいえ、
現代人からすると驚きですw(゚o゚)w


彼らは、方法論に違いこそあれ目的は、日本国を諸外国の脅威から守り、外圧に屈しない強い国づくりをするという一点で共通しており、決して自分たちが覇権を握るために命を賭けたわけではありませんから、一般人を巻き込むような無茶なことをするわけがありません。
(池田屋騒動のとき集まった一部浪士にはそのような動きもあったが新撰組により未遂に終わる)

彼らが活躍したのは黒船来航による世情不安の中、経済も低迷しテロが横行するなど極めて暗い時代でしたが、
それぞれに家族愛や友情、修行、恋愛など目いっぱい青春しながら真剣にこの国の将来を考えていたのです。

このような短い期間だけれど、キラリshineと光る彼らの一途な生きざまが、平和ボケした我々現代人の心を強く惹き付けて止まないのです。

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2008年8月27日 (水)

【京都便利堂】幕末の悲恋

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。


Bakumatsugettanfuda

「幕末月旦札」、様々なところで取り上げていただきましてありがとうございます。

→読売新聞記事

→京都新聞記事

おかげさまでたくさんご注文をいただき、誠にありがとうございます。

しかし、現在在庫がつきかかっております……。
申し訳ございません。
9月10日頃には新しく商品が入る予定でございます。
配送が遅れますこと、何卒お許しくださいませ。

それでは、今日も幕末に関するお話しをさせていただきます。

少し季節が違うのですが、京都便利堂では、昔の雛道具をデザインしたクリアファイルを販売させていただいております。

実はこの雛道具、幕末の頃の悲しい歴史を持っているのです。

持ち主は、弥千代姫。
彼女は、第11代高松藩藩主の松平頼聰(よりとし)の元へ輿入れする際、この雛道具を嫁入り道具として持っていきました。
高松で迎えたひな祭りの時、お城に飾られていたことでしょう。
実際に使用する嫁入り道具をミニチュア化したものです。
きっと思い入れもたくさんあったのではないでしょうか。

この雛道具が飾られていたであろうあるひな祭りの日、事件が起こります。

高松から離れた江戸では、早朝から雪が降り続いたその日……。

1860年3月3日、桜田門外の変。
江戸幕府大老で彦根藩主、井伊直弼、暗殺。

この事件を皮切りに、200年以上もの長い間続いた徳川幕府がなくなるのです。
日本の未来すら変えてしまう大事件でした。

井伊直弼亡き後幕府の実権を握った老中・安藤信正は、井伊直弼が行った安政の大獄で排除されていた老中などを復帰させ、今度は逆に井伊派の老中を罷免していきます。
側近は斬首などの刑に処されます。

高松で幸せな日々を過ごしていた弥千代姫も、この事件で未来が変わってしまいます。

なぜなら彼女の父は暗殺されたその人、江戸幕府大老・井伊直弼だからです。

その影響を姫の婚家である松平家に及ぼさぬようにと家臣に迫られ、押し切られる形で離縁heart03
今で言う恋愛結婚をしたと伝えられているほど仲睦まじかったふたりだったというのに。
1863年のことですから、実際の婚姻生活はおよそ5年ほど。

父を亡くし、最愛の夫とも離縁。
辛い日々であったと想像します。

その後、明治維新がおこり、たくさんの人々の運命を変えた徳川幕府は幕を閉じます。
そして、開国をし明治の新しい政府が誕生しましたが、まだまだ混乱が続き、不穏な空気が漂っていた日本。

けれど、そんな混乱した時代の日本にも、少し幸せなお話しがあります。

弥千代姫と松平頼聰が復縁するのですheart01shine
離縁の原因となった徳川幕府がなくなったからと。

その後は、頼聰が亡くなるまで仲睦まじく過ごされたようです。

その際、あの雛道具は彦根に置いて行かれたようで、現在は彦根城博物館に伝えられています。
ひな祭りの頃に毎年展示されているそうです。

昨年、彦根城築城400年祭に合わせて、ひこにゃんという人気キャラクターが出てきましたが、
なんと、この弥千代姫をモデルにしたやちにゃんというキャラもいるそうです!
少し驚きましたcoldsweats02

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投稿者 京都 便利堂 時刻 17時30分 学問・資格, 恋愛, 経済・政治・国際
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2008年8月20日 (水)

【京都便利堂】幕末の魅力

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

今日の京都は午前中は晴れていたのに、夕方頃、妖しい雲が出てきました。
案の定夕立が降り、さっきは綺麗な青空が見えていましたよ。
お盆があけたら、少しだけですが、涼しくなってきましたよ。

Nyudogumo

さて、そんな天気の変わりやすい本日、
老舗モール店のトップページを更新いたしました。
前回のブログで予告しておりました「幕末月旦札」本日より新発売です!!

幕末?はて?
学生時代学習したけれど、あんまり覚えていない?!
という皆様、今日はゆっくりこのブログをお読みくださいませ!!

まず、「幕末」は「戦国」と並んで歴史好きの中でも最もファンの多い時代です。
戦国時代 の主役の殆どが領地争いや天下獲りに奔走する大名や、一国一城の主となる野望を抱く人 物を中心とした「英雄の時代」であるのに対して、
幕末は吉田松陰や坂本龍馬、西郷隆盛、 新撰組など言わば市井の者たちが日本国存亡の危機に直面して、それぞれの立場や信念 を貫こうとした「草莽(そうもう)の時代」なのです。

この頃、戦国の世が平定されてから200年あまり、長い間続いた徳川幕府による幕藩体制は当時の日本人にとって世界そのものでした。
この幕藩体制が崩れるなどとは夢にも思っていなかったのでしょうが、突然訪れたペリー率いる黒船によって自分たちの知らない力を目の当たりにします。
その驚きは、予想するに、現代の私たちがUFO編隊の襲来を受けたような衝撃だったのではないでしょうか。

そんな外圧に対し、実は徳川将軍は日本国王ではなく単なる大名の盟主であり、
真の国王は天皇家であることを知られまいと右往左往するばかりの幕府上層部の対応を見て、
今まで盤石だと思い込んでいた幕藩体制が実は全く無力であり、
このままでは日本国が諸外国に蹂躙(じゅうりん)されてしまうという切実な危機感を持った人々が、それぞれの立場で立ち上がろうとします。

天皇を中心とする新たな政治体制を模索する者、
今一度徳川家を中心とした鎖国を維持して国をまとめようとする者、
或いは開国し身分などなくして近代国家を目指す者など、
様々な考え方が交錯し、更に敵対する勢力を力で粛清しようとする者により、
あたかも現代のアフガニスタンやイラク紛争のような状況だったのではないでしょうか。

幕末にまず登場するのは吉田松陰や梅田雲浜などの思想家で、これからあるべき日本の姿を夢見ますが、その多くは保守勢力によって非業の死を遂げます。
その後に彼らの影響を受けた高杉晋作や坂本龍馬など革命家が続き、その理想を実現しようとしますが、彼らもまた硝煙の中で斃れて行きます。
そして最後に伊藤博文や山県有朋などの政治家によって近代国家が形造られ、現代へとつながって行くのです。

幕末に登場する人物群は皆、極めて純粋ではあるけれど、決して特別な人間ではなく、言わば時代が激しくうねる時のエネルギーによって突き動かされた普通の人々であり、又それぞれに身近なドラマがあるところが魅力になっているのではないでしょうか。

幕末の魅力、おわかりいただけましたでしょうか?
幕末月旦札には、この時代に活躍した人物が描かれていますよ!

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投稿者 京都 便利堂 時刻 18時57分 学問・資格, 経済・政治・国際
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2008年8月13日 (水)

【京都便利堂】幕末月旦札(ばくまつげったんふだ)

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

今日は盆の入りですね。

Sekiranun

先週、立秋も迎えたというのにまだまだ蒸し暑い京都です。

さて、お盆があけたら、京都便利堂老舗モール店に新商品が登場します!

もうすでに京都国立博物館などで発売しているのですが、
「幕末月旦札(ばくまつげったんふだ)」。
便利堂オリジナルのカードゲームです。

53枚で構成されているので、もちろんトランプとしても使っていただけますよ。

ここで少し幕末のおさらいを。

日本史の中でも江戸時代末期、いわゆる「幕末」という時代は、外国との貿易が本格的に始まり、250年続いた徳川幕府が終結し、日本の近代化が進んだ大きな改革期です。

250年続いた徳川幕府の強化と、京都治安維持に全力を注いだ新撰組。
日本の近代化と海外国内貿易の礎を築いた坂本龍馬。
身分制度のある時代に身分関係なく人々を集め奇兵隊を作った高杉晋作。

その改革の時代は、様々な角度から、日本の行く末に己の信念を貫いた幕末の志士達が活躍した時代でもあります。
彼らの多くは、20代前半〜30代前半の若者達でした。
日本を大きく動かしたその力は、現代の若者達も見習いたいところです。

そんな幕末をより多くの方に楽しんで知っていただきたい!と開発してきた商品が、
今回、便利堂から新発売いたしました「幕末月旦札」です。

Bakumatsugetanfuda_2

幕末カードの絵柄53枚には、幕末の志士をイメージしたシルエット・ゆかりの品・本人が歌った短歌やその当時の人物評などを載せ、志士の名刺のようなイメージを載せています。
ですので、カードを見ているだけでも十分勉強できるのですが、
この商品では、幕末をよりわかりやすく理解していただけるようオリジナルゲームも楽しむことができますよ。

オリジナルゲームの遊び方は、
配られた5枚の手持ちカードで幕末に関連する出来事や事件に関わった人々を集め、役を目指してカードを集めていくというもの。
歴史に詳しい方もこれから学びたいと思われる方も一緒に楽しめる内容になっております。

オリジナルゲーム役一例として、
【50点役】≪  大政奉還  ≫ 坂本龍馬・後藤象二郎・山内容堂・徳川慶喜・明治天皇
【20点役】≪  松下村塾  ≫ 吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿
【15点役】≪ 池田屋事件 ≫ 近藤勇・沖田総司・吉田稔麿
【15点役】≪ 北辰一刀流 ≫ 坂本龍馬・山南敬助・山岡鉄舟
【 3点役】≪ 夫   婦 ≫ 天璋院篤姫・徳川家定
など......。

高級感のある貼箱に入っていますので、歴史好きの方や、学生さんなどの歴史を学習中の方へ楽しめるプレゼントとしてもお勧めです。

御盆明けの8月20日、京都便利堂老舗モール店に登場します!

今しばらくお待ちくださいませ。
お急ぎの方は、京都便利堂富小路店東京店 でも取り扱っておりますので、
どうぞお越しくださいませ。

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投稿者 京都 便利堂 時刻 17時17分 学問・資格, 経済・政治・国際
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