« 【京都便利堂】神田、神保町2 | トップページ | 【京都便利堂】ボジョレ・ヌーヴォー »

2008年11月 5日 (水)

【京都便利堂】人生最大の挫折が導いた天下人への道

ありがとうございます。
京都便利堂でございます。

大河ドラマ、「篤姫」もいよいよ大政奉還を迎え、緊迫した雰囲気を漂わせてきましたね。
徳川幕府の最後の瞬間です。
先はどうなるかわかってはいるのですが、ハラハラしますcoldsweats02

この徳川幕府の最後endは歴史の授業でも詳しく習ったりしてよく記憶しているのですが、始まりはどうなっているのでしょうか?
徳川幕府の初代将軍は、徳川家康。
今日は、徳川家康についてお話ししたいと思います。

江戸幕府260年に亘る太平の礎を築いた徳川家康は、今でも多くの経営者や政治家が手本とする戦国武将ですが、その道程は艱難辛苦の連続でしたsweat01
幼い頃から今川家などに人質として出され、解放後も同盟関係とは言え弱小勢力なるが故に織田信長からこき使われた揚句、折角訪れたチャンスでも豊臣秀吉に天下を横取りされてしまいました。

そんな「重き荷を負って歩むが如き」家康の人生の中でも最大のピンチは彼が30歳の時に起きた「三方ケ原の合戦」impactでした。

当時の情勢は、数多くの戦国大名が群雄割拠する中、遠近江・駿河(静岡県)・三河(愛知県東部)三国の守護大名で源氏の流れを汲む名門・今川義元が天下に一番近いと言われていましたが、
京都に向かう途中、桶狭間で尾張(愛知県西部)の新興勢力織田信長の奇襲に遭い討ち取られてしまいます。
お陰で、長年今川家に人質として預けられ、犬馬のように働かされていた家康は独立することができたのですが以後、日の出の勢いで天下獲りに突き進む信長の従順な同盟者として各地を転戦することになりますhorsedash

京都には室町幕府第十五代将軍 足利義昭が居りましたが、これは信長の操り人形で総ての実権は信長が握っていましたshadow
これに不満を持つ将軍義昭は密かに全国の有力大名に「信長討伐」の指令を出します。
これを受け取った甲斐(山梨県)の武田信玄は信長の勢力にpunch一発くらわせてやろうと思い2万5千の兵を率いて出陣します。一説には天下獲りを目指して京都に向かったと言われていますが、どうやら織田の勢力を叩きながら信長の本拠地である岐阜方面を脅かす目的だったようです。

その途中に家康の居城「浜松城」があり、信長の同盟軍である立場から信玄との戦impactはどうしても避けられない状況になってしまいます。
戦国最強を誇る武田の大部隊に対して家康の軍勢は僅かに8千、織田の援軍を合わせても1万1千しかありません。
再三信長に援軍を要請しますが、信玄が手を回し近江の浅井、越前の朝倉、阿波・河内の三好衆や本願寺一向宗と連携して信長包囲網を作っているため信長もこれ以上兵力を割くことができず家康に「これで何とかしろsign01」という無茶な要求をします。
到底勝ち目がないと判っている家康は城に籠って外に出ず、ひたすら攻撃に耐えようthinkと決心します。

いよいよ武田軍が浜松城に近づきますが、何故か城には目もくれず悠々と「風林火山」の旗を翻しながら三方ケ原に向かって通り過ぎて行きますhorsehorsehorsedash
これを見た家康の家臣たちは、余りの屈辱に地団太踏んで悔しがります。
家康も、ここで何もせずにいたのでは、後世まで臆病の誹りは免れぬと、決死の覚悟で攻撃を仕掛けますが、そこは天下一の戦上手と謳われる52歳の信玄に敵するところでなく、あっという間に蹴散らされ、家康自身何度も討ち死にしそうになりますが、その度に家臣が「我こそ家康なり」と言いながら身代わりとなってくれたお陰で辛くも単騎、城まで逃げ帰ることができましたwobbly

その時、余りの恐怖のため馬の鞍に脱糞してしまったと言われていますが、どうやら野戦用の食料「焼き味噌」がつぶれていたのではとも言います。
ともあれ城にたどり着いた家康は、この先慢心して昔の苦労を忘れることがないよう今の惨めな自分の姿を絵に描かせていますpencil

Shikamizou

後に「顰(しかみ)像」といわれるもので、終世家康はこれを手許に置き自らの戒めとしたそうです。

戦いは武田の圧勝で終わりますが、その後行軍中に信玄が病によって陣没し軍を甲府に返したため織田・徳川連合軍の危機は去ります。

強運の信長は一気に天下人へと駆け上がり、死を賭して戦った家康の名声も高まって一大勢力となって行きます。
その後本能寺の変で信長が横死すると突然、格下であった豊臣秀吉に天下を掠め取られ、秀吉が没するまで16年間又しても冷や飯を食わされるのですが、家康はこの間にも、この「顰像」を眺めながら悔しさに耐えていたのではないでしょうか。

しかし最後に覇権を握り、誰もなし得なかった平和な世の中を作り上げたのですから、この像は家康にとって幸運をもたらすラッキーアイテムcloverだったに違いありません。

その顰像のレプリカをこの度販売することになりました。
ただいま、ページ制作中ですので、お問い合わせはtelephoneお電話かメールmailtoにてsign01
株式会社便利堂 徳川家康画像係:phoneto075-231-4351 faxto075-231-2561
       

徳川幕府の最後、幕末と呼ばれる時代の人々が登場するトランプ、幕末トランプはこちらから。

ランキングバナー

ブログランキングに参加しています!是非1クリックをよろしくお願いします

投稿者 京都 便利堂 時刻 11時11分 学問・資格, 文化・芸術, 経済・政治・国際
|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137805/43010172

この記事へのトラックバック一覧です: 【京都便利堂】人生最大の挫折が導いた天下人への道:

コメント

コメントを書く