【京都便利堂】薩英?日英?戦争のこと
ありがとうございます。
京都便利堂でございます。
ご好評いただいております![]()
「幕末月旦札」![]()
、来週頃に2刷りが上がってくる予定でございます。
お待ちいただいている皆様、ご迷惑をお掛けいたしまして申し訳ございません。
今しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
それでは、本日も幕末のお話しを少し![]()
学生の頃、この時代のことを習ったときから不思議に思っていたことがありました。
「生麦事件」がきっかけで起こった戦争、「薩英戦争」。
なぜ日英戦争ではなく、薩英戦争と呼ぶのでしょうか?
薩摩藩とイギリスとの戦争ですから、その呼び名でいいのかもしれませんが。。
なぜなのでしょうか?
まずはことの起こりの生麦事件について。
この事件の舞台は、東海道・武蔵国生麦村(現在の横浜市鶴見区生麦)あたり。
江戸から京の都へ向かう、薩摩藩主の父・島津久光の大名行列が通過していました。
その行列を、イギリス人貿易商・リチャードソンが乗馬のまま横切ってしまいます。
来日して日の浅かった彼らは、大名行列と行き交う時の作法(下馬して道端に寄り、道を譲る)を知らなかったそうです。
しかし、当時の日本の国法では、行列を乱した者は無礼討ち。
それにより、リチャードソンは絶命します。
これに怒ったイギリスは、幕府と薩摩藩に対し、賠償請求
を行います。
幕府は支払いに応じますが、薩摩藩は応じません。
元々、幕府は各国の公使館に東海道通行の自粛を通達しており、行列を乱した者を切り捨てるのは、当時は合法だったからです。
このように薩摩とイギリスの言い分は分かれて、それが原因でおこった戦争が「薩英戦争」なのです。
そこで気になるのは、生麦事件の賠償請求が幕府と薩摩藩に分けてされていてかつ、幕府は支払いに応じているのに、なぜ戦争を?
それは、当時の藩はそれぞれひとつの独立した国で、今の日本のような中央集権国家ではなかったからです。
当時の藩と現在の都道府県とは全く違うもなのです。
ですから、日本全体ではなく、薩摩という国とイギリスという国の戦争だったから「薩英戦争」なのです。
今のような中央集権国家になったのは、明治維新の後。
廃藩置県が行われてからのことです。
明治維新は、お殿様がいなくなった日本の幕開け
でもありました。
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投稿者 京都 便利堂 時刻 15時00分 学問・資格, 経済・政治・国際
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コメント
薩摩藩といえば「日本薩摩琉球国太守政府」の名前でパリ万博に出展したこともありました。今でいえば「鹿児島沖縄自治国」みたいなものですね。
投稿: | 2008/09/08 10:37:07
コメントありがとうございます!
「鹿児島沖縄自治国」ですか。
やはり当時は各藩が自治を行っていたということですね。
西欧に立ち向かうため各藩が一致団結したのが明治の頃で、それを今に引き継いでいるのですね。
歴史は学ぶほど面白いですね
勉強になりました。
ありがとうございます
投稿: 京都便利堂 | 2008/09/08 11:08:11